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29年前の上京物語。防寒対策で逃げ込んだ「駅前の電話ボックス」はどこへ行った?

こんにちは。「あおもり結び。」の管理人です。

前回の記事では、青森県民の魂とも言える「朝風呂文化」について熱く語ってしまいましたが、今回は少し個人的で、センチメンタルなお話をさせてください。

皆さんは、久しぶりに故郷に帰ったとき、浦島太郎になったような気分を味わったことはありませんか?

私は先日、帰省のために青森駅に降り立ったとき、まさにその感覚に襲われました。

「……ここは、どこだ?」

私の記憶の中にある「青森駅」は、もうそこにはありませんでした。

目次

「ここはどこ?」変わり果てた青森駅前に立ち尽くす

私が進学や就職のために青森を離れ、上京したのは今から29年前のことです。

当時はまだ新幹線も新青森まで通っておらず、特急「はつかり」や寝台列車が東京への架け橋でした。

大きなボストンバッグを抱え、見送りに来てくれた家族や友人に手を振ったあの日の青森駅。 独特の海の匂い、そして何より、あおもり駅全体が醸し出す「北の玄関口」としての雰囲気。

それらすべてが、私にとっての「青森」そのものでした。

しかし、数年ぶりに訪れた青森駅は、見違えるほど綺麗になっていました。

新しくなった駅ビル、お洒落なカフェ、洗練された通路。 駅周辺には「A-FACTORY」や「ねぶたの家 ワ・ラッセ」など、観光客で賑わう素敵な施設も増えています。

間違いなく、便利で快適な空間になりました。 観光で訪れる方には、胸を張って自慢できる素晴らしい玄関口です。

でも、私の心はなぜか少し、「寂しい」と呟いていました。

氷点下の避難所。あの頃、電話ボックスは僕らの「聖域」だった

ふと、あるものを探して駅前を見回しました。

「あの電話ボックスは、どこへ行った?」

29年前の冬、学校帰りや友人を待つ間、私はよく駅前の電話ボックスに駆け込んでいました。

当時の青森の冬の厳しさは、今の比ではありません(記憶の中で美化されているだけかもしれませんが)。 地吹雪が吹き荒れる中、電車や迎えの車を待つ数十分が永遠のように感じられたものです。

そんな時、公衆電話ボックスは唯一の**「避難所」**でした。

重い扉を閉めると、風の音がふっと遠のく。 誰かが残した受話器の温もりや、ガラス越しに見る真っ白な世界。 限られた小銭を握りしめ、実家や友人に電話をかけたあの狭い空間。

あそこには、寒さから身を守るだけでなく、青春時代の悩みや希望、とりとめのない会話がたくさん詰まっていました。

今の駅前は広々としていて、電話ボックスの姿は見当たりません。 携帯電話があれば、もうあんな風に寒さに耐えながら順番待ちをする必要もないのでしょう。

それはとても便利なこと。 わかっているけれど、あの「ガラスの小部屋」がなくなったことに、私は時代の移ろいと、自分の青春が遠い過去になったことを突きつけられた気がしました。

景色は変わっても、この「空気」だけは変わらない

新しくなった青森駅を見上げながら、私は少し寂しい気分で深呼吸をしました。

すると、冷たく張り詰めた空気を吸ったとき

「あ、この匂いは変わってない」

建物の形は変わっても、頬を刺す風の冷たさや、雪の匂い、そして行き交う人々の話す言葉(津軽弁)の温かさは、29年前のままでした。

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